コラム

見出し 写真の感性
更新時間 2006/12/30 名前 よねやん
本文 ◇「女性写真家ブーム」とかいって若い女性カメラマンがもてはやされている。 銀塩カメラをぶら下げて街に出没し、被写体とコミュニケーションを取りながら さりげない作品を撮る人が多い。あまり600mmと400mmと重いカメラ バックを担いで仕事をするような人は少ないように思う。機材もカメラ1台に 50mmの単焦点レンズなどのようにシンプルが定番らしい。作品は意味不明 なものが多いのだが、それを「感性」で片付ける姿勢にはいささか違和感を覚 える。音楽でいうと
「演歌しか分からない人には今の音楽は分からないのよ!」
と逆に言われているような気がするのである。

◇でもちょっと待てよ。そんなお気軽写真ばかり撮っていて 本当に大丈夫なのか。本来芸術はそんなに簡単ではないはずだ。 ピアノだったら4歳から始めないと一流にはなれない。 津軽三味線の吉田兄弟だって1日8時間も練習をする。 絵画だって最初からうまい人なんていない。それが写真の場合 はシャッターさえ押せばそれなりに写るので
「お気軽写真が私の作風なのよ」
と言ってしまえばある程度の格好がつくのだ。

◇先日東京YPCの顧問で女性写真家の大塚敦子先生 が月例会で講演会を行なってくれた。内容は他民族国家 であるボスニアにあるコミュニティガーデン(共同農場) での撮影取材についてであった。ご存知の通りボスニアは民族紛争が絶えず、 今でも民族間でにらみ合って国家を形成している。 そこで民族の交流の場として共同農場ができているそうである。 そこでの大人の民族紛争のわだかまりや、何も知らずに仲良 くする子供たちの姿などを取材している。またその取材を本に してボスニア紛争後の状況を世界に呼びかけるというすばらしい仕事もしている。 (平和の種をまく―ボスニアの少女エミナ=岩崎書店)

◇話を聞いていて取材の大変さ、ボスニア民族の不遇さなどが つくづく分かり思わず涙ぐんでしまった (アクビのふりをして涙を拭っていました、大塚先生ごめんなさい)。 大塚先生の作品はとにかく時間がかかっている。 まずカメラなどを持たずに現地に行き何ヶ月もそこの生活に溶け込むことから始まる。 得意の英語力を生かして、現地の子供を相手に英語教室まで行うというのだから驚きだ。 そこで相手の警戒心を解き最後の仕上げがカメラという具合らしい。 首にカメラをぶら下げてフラフラと街中に出没しシャッターを押す 「なんちゃって女性写真家」とは対極にあるものだ。

◇お気軽写真を撮っては「感性」を押し付けてくる人はいつか行き詰まると思う。 少しは大塚先生を見習って欲しい。 10年20年後に生き残っていれば本物であるが、 多分「感性」がタマ切れして生き残れないだろう。 シャッターを押すだけなら簡単だが、それは最後の仕上げでその過程が問題なのだ。 「感性」という言葉に人はうなづいてしまうが、これほど怖い言葉はない。 何でも目先はこの一言で逃げられるからである。


何となく「感性」と言われ納得してしまうような作例
しかし、この作品に深い意味は何もない(筆者撮影)



こういう作品も「感性で撮りました」といえば無難に乗り切れるだろう(筆者撮影)