コラム

見出し 写真家のタマゴ
更新時間 2008/06/29 名前 よねやん
本文 ◇映画DVDで「ピアノの森」を観た。50文字以内で説明すると「誰にも習ったことのない天才ピアノ少年、その才能を元一流ピアニストに見い出され、世界に羽ばたいて行く」ということになる。詳しく説明できないので興味ある方は原作の漫画本かDVDを観ていただきたい。写真家の出す写真集がたかだか1万部で大ヒットなのに対し、この漫画本は300万部以上売れたらしい。

◇話の中で、あるピアニスト家系の少年が、4歳の頃よりプロになるために血のにじむ思いでレッスンする場面が出てくる。ピアノの世界では絶対音階を身につけるために4歳から始めるというのが常識なのである。遅れるとせっかくの才能も開花しないらしい。それ故にどうせピアノを習わせるなら4歳からと親が考え、ピアノの幼児クラスは比較的生徒が多い。それが小学校、中学校と徐々に生徒は減り、高校生クラスになると2?3人位しかいない教室が多い。

◇ピアニストになるのは難しく、才能は必要条件だ。努力だけでなれる職業ではない。それに比べて写真家は才能がなくてもなることができる。4歳からといわず、大学や専門学校を卒業してから始めても十分に間に合う。写真は奥が深いと言われるが、若いうちに1年ほどかけて一通りの手順を覚えてしまえば、よほど能力に問題の無い限りは写真家を名乗れるのだ。ピアノの世界とは大きな違いだ。

◇写真は敷居が低く、それ故に写真家志望の若者はゴロゴロしている。最初は趣味で撮り始め、そのうち友達からウマイと言われ、ちょこっとした空間で写真展を開催する。そこでプロを自称する人もいるが、大半は大きな勘違いだ。確かに、写真は押せば写る時代だし、少し感性があれば写真家のスタート台に立つことができる。ただし、そこからが注意。頂点に立つためには、写真以外の部分でも能力が必要なのだ。それが見えずに目指す人がどれだけ多いことか。

◇例えば、書籍で露出する場合には文章が書けなくてはならない。写真の撮れる人はいるが、同じレベルで文章を書ける人は少ない。そういう写真家は決まって「写真が全てを語る。文章はオマケ」なんて言うのだがそれは逃げる口実、やっぱり書けた方がいいに決まっている。また大勢の前で話す能力も重要だ。意外とカメラマンには講演が多く、内容が良いと次から次に依頼が入ってくる。またカメラ機材などに強くないとダメだ。対メーカーとの新機種の開発やテストレポートなどの仕事も回ってこない。できれば銀塩に精通し、現在はデジタルをバリバリ使いこなしているような写真家が持てはやされる。撮っているだけではダメで、総合的な能力が問われるわけだ。

◇1990年のバブル崩壊から、企業は財務体質の改善のために非正規社員の雇用を増やしてきた。失われた10年間に就職を迎えた若者たちの一部はその割を食って低賃金で働かざるを得なかった。よく言われるワーキングプアというやつだ。そういう閉塞感から一発逆転できる職業が写真家というわけだ。若者を対象とした写真家の養成コースなどに参加すると、20?30代の人をウジャウジャ見かける。その中で何人かは写真家を自称し、それからフルイにかけられ大写真家が登場するわけだ。なるほど最初の敷居は低いかも知れないが、それ故に競争も激しくなる。「世の中、そんなに甘くねーよ」ということだ。



#久しぶりにニコンのポートフォリオレビューを見てきた。(以前にも少し説明したが、30点くらいの作品を各自が持参し、机に並べた作品群をニコンサロンの審査員である先生が講評し、プロの眼からの感想を聞けるというものである。対象は35歳くらいまでの若者が対象。自分の取り組む作品の方向性がわかるのでお勧めである。)
本原稿を書いた後にポートフォリオレビューを見て、現実が予想以上に厳しいことを再確認した。「写真家になるだけなら敷居は低い」なんてことを書いてしまったわけだが、かなり甘い考えだったのだ。ここへは写真家のタマゴがたくさん参加しているが、写真家になる以前に社会人として失格の若者が何人か見受けられるのだ。「ニコンサロンの方に対して横柄な話し方をする人」、「自分の順番なのにその場にいない人」、「作品を並べる段取りが悪く進行を遅らせる人」、「短パン姿で帽子をかぶって自分の講評を受ける人」、など話せば枚挙にいとまがない。これではいくら作品が優れているといってもそれ以前の問題だ。少なくとも筆者だったら仕事を依頼しないだろう。勿論、まじめで好感の持てる人もたくさんいたが、、、、、


ポートフォリオレビューの様子(写真と本文は関係がありません)

大手町・サンケイビルで見かけたANAクラウンプラザホテルの広告

実際にモデルが壁にへばりついていて、ドリフのコントを思い出してしまった