コラム

見出し スキマを狙う
更新時間 2009/12/20 名前 よねやん
本文 ◇今日、恵比寿・東京写真美術館で開催されている「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン」を観に行った。今更説明する必要もないが、どちらもライカ片手にスナップ撮影を行った歴史に残る写真家だ。まとめて2人が観られる写真展は珍しいのでお勧めだ。2010年2月7日(日)まで開催している。

◇作品を観ると当時の記録写真としては素晴らしいものがある。戦前戦後の食べるにも困難な時代に、家が1軒も買えるほど高価だったライカを片手に街に出て撮影するわけであるから、よほどの金持ちのボンボンか報道目的の職業カメラマンしか存在しなかったはずだ。2人は後者で、精力的に世界を撮り歩いている。日本では木村氏の方が有名であるが、客観的に見るとブレッソン氏の方が世界を撮り歩きスケールが大きい感じがする。対する木村氏は日本が中心でそれも現在で言うところの街角スナップ的な作品が多い。フランスを拠点にしたブレッソン氏と島国日本を拠点とした木村氏との条件の違いも大きいのであろう。

◇2人の作品の素晴らしさに対しウンチクを並べたがる人が多いのであるが、客観的に写真としての評価を考えると現代のカメラマンが撮る作品の方が数段よくできている。それは撮影機材の性能が上がり、写真雑誌などを通じて撮影技法の研究が進んだのが大きいと言える。また現代の人は生まれた時から映像文化が身近にあり、映像に対する教育が自然とできているのも強みだと言えよう。50年前はテレビもなく、印刷物も活字が中心で写真は画質も悪く、オマケ程度の説明でしかなかった。年配の歌手がいくら頑張っても最近出てきた歌手に難しいリズムや音階で勝てないのと同じだ。生まれ育った環境は大きい。囲碁の世界だと1800年代の棋士・本因坊秀策は現代の棋士に勝てないだろう。現代は研究が進み、パソコンによる棋譜の解析やデータ管理が行われているから、囲碁もさらに上の世界で対局が行われれているとのことだ。将棋、陸上競技など何事もレベルがアップしてるが、それは裏を返せば日々進化する人類としては自然な流れなのだろう。

◇では2人の作品を観て「当時としてはうまいです。でも今のカメラマンの方がうまいです」で終わらせて良いものだろうか?そこが問題だ。そもそも生きている時代が違うので、うまい下手を比べること自体が間違いなのだ。2人の素晴らしさはカメラが珍しい時代に写真を撮るというスキマにあると思う。携帯電話などを含めると今は誰でもカメラを手にしている時代だ。カメラの希少価値は無くなり、撮影をすると肖像権だなんだとうるさくてイヤになるほどだ。当時はカメラも珍しいのでレンズを向けると喜んで誰でも撮らせてくれたはずだ。クレームを言う人など皆無で、むしろ雑誌に載ったりすると「一生の記念です」なんて言ってくれたはずだ。そう言えば筆者が中学生だった頃、そういう時代の余韻があり「撮ってやるからこっちにこい!」みたいなノリだったのを覚えている。ニコンFの一眼レフを持った中学生なんて珍しかったから。そのうちオートフォーカスが搭載されたコンパクトカメラが普及しカメラが大衆化すると、次第に肖像権なるものがうるさくなったように思える。特に個人情報の保護に関する法律ができてからは、解釈を間違って何でも個人情報にする人が溢れてしまって、写真が簡単に撮れなくなっている。ブレッソンが今の時代に甦ったらどのように言うか聞いてみたい。

◇写真に限らず、普通の人にはできないスキマを追求するのは良いことだと思う。どの時代も天才的な人がそのスキマに気づき、世の中をアッと驚かせるのであるが、やがてそれを皆がマネし、スキマはスキマで無くなってしまう。その時は次の天才が新しいスキマを見つけるのである。とにかく筆者としては当時のスキマを見つけて作品を残した2人に敬意を払いたい。


#紅葉の季節は忙しくて撮るヒマが無いのであるが、今年は紅葉の作例を作るために頑張って撮った


何となくイチョウとトラックの黄色がマッチしている


自然教育園のひょうたん池、雨上がりの早朝に行くと朝もやが撮れる