コラム

見出し 管先生の思い出
更新時間 2013/04/22 名前 よねやん
本文 ◇4月10日、管洋志先生が大腸がんで他界された。有名写真家はたくさんいるが、管先生ほど撮影力、企画力、人柄などで抜きん出た方はいなかった。一番の思い出はベトナムとラオスの撮影ツアーに同行し、その参加者のグループ展を行った時のことだ。その時の管先生の作品30点ほどを見せてもらったが、それだけで個展ができるほどの素晴らしいできだった。どこまでもピントはシャープで、レンズの切れも完璧。デジタルでの撮影だったが、仕上げは菅先生好みのポジ風だ。所々にアジア風の花のカットなどもあってバランスが良い。作品のすべてが管ワールドなのだ。

◇いろいろ写真家の作品を見せてもらうこともあるが「えっ、下手やなぁ」と内心思うことも多い。ピントや構図の決定など悪かったり、機材の選定や露出の決定が意味不明なこともある。

◇グループ展を行った時は、管先生がプロデュースされた。まず、参加者の作品を5点×9名=45点を決めてから、管先生の5点を追加して50点の展示となった。ここで普通の写真家センセイならば、自分が最高に撮れた5点を追加して、センセイの対面を保とうとするはずだ。これが菅先生は逆で、みんなが撮りそこねた場面や、南国のイメージを演出する萱葺き屋根の家などの平凡な作品を追加されたのだ。写真展を行えば分かるが、すべて秀作で展示すると息がつまりそうになるので、「箸休め」的な作品が必要で、それを自らの作品で埋めたのだ。

◇展示レイアウトも扉と出口(最初と最後)は参加者の作品にして、自らの作品は目立たない場所に展示された。普通はできるものではないが、参加者が前面に押し出された素晴らしいグループ展になった。人柄、実力ともに第一線の写真家なのだ。写真を教える自称写真家は多いのだが、それはゴルフで例えると打ちっぱなしで教えているレッスンプロのようなものだ。対する管先生は、一線で活躍するツアープロそのものだ。生前よく管先生は、現役でこだわりたい話をよくされた。撮らないのに写真家を名のり、写真審査や講演だけで生計を立てる気はなかったようだ。「写真を撮ってこそ写真家」それが管先生のこだわりだった。年末にガンの影響で歩くことが不自由になり、現場に出られなくなった管先生。長嶋さんも入院したという、リハビリセンターで過酷なトレーニングを受けて、かなり動けるようになった。3月8日には元気に退院されて、仕事を開始すると聞いていたのに、急な訃報には驚くばかりだ。

◇葬儀ではお寺の一室に菅先生の代表作品や、愛用していた機材が展示され、多くの人が見入っていた。これだけ撮れるのだから、あと20年は写真界を引っ張って欲しかった。葬式の参列者は4割くらいがカメラマンなのだろうか?出棺の際は、「ほら、俺の最後をうまく撮れよ」と菅先生が言っているような気になり、気が付くとかなりの人がカメラを構えて出棺するという異色の葬儀となった。亡くなった次の日、自宅でお見送りをさせていただいたが、その時は本当に安らかな良い顔をされていて、それが筆者にとってせめてもの救いだった。管先生は湿っぽいのは大嫌いだ。気丈に笑顔で送り出したいと思うのだが、しばらくは心の整理ができそうに無い。



20畳くらいの部屋に沢山の作品が飾られた


管先生愛用の機材など、ニコンのSP,D700,F3 筆者イチオシのV1もある


出棺前、茶色のマンションが管先生の事務所

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今月の買い物

アマゾンのホームページより「カメラバッグ」と入れて検索すると
1992円のカメラバッグが表示される。実はこれは隠れた大ヒット商品
値段の割には造りがしっかりしていて、必要最低限の機材が効率よく入る
お勧めだ。

ボディ2台、レンズ3本が問題なく入る


上にボディが1台入る、レンズつきのミラーレスカメラでもOK


肩にかけて背負うこともできる


ニコンから18-35mmの新型レンズが出た、早速購入し、旧型(写真左)はごみ整理で売る予定


新型18-35mmで、やっぱりキレが全然違う