コラム

見出し プロの延長線
更新時間 2013/06/27 名前 よねやん
本文 ◇木村伊兵衛賞受賞写真作家である梅佳代氏が東京オペラシティで開催した写真展「梅佳代展」に行って来た。最終日ということもあるのだろうか、1000円の入場料を払うカウンターは長蛇の列、カップルや若いカメラ女子であふれていた。無料が一般的な写真展において、この動員数は異次元とも言える。篠山紀信氏が東京オペラシティで写真展を行ってからは、この地が一種のステータスになりつつある。梅佳代氏のような常軌を逸した作風の場合は、東京都写真美術館ではなく東京オペラシティなのだろう。

◇言い方がきつくなるが梅佳代氏は職業カメラマンの間ではあまり評判が良くない。一番の理由は写真のキホンを後回しで感性だけで撮っていることだ。展示されている作品を見ても殆どがネガフィルムで撮影されたもので、全くキレが無い。15年前の130万画素のデジカメで撮ったような仕上がりだ。ピントの送りに意図が感じられず、ただオートフォーカスに任せている感じだ。露出もおそらくプログラムモードで撮られているのだろう。ブレていたり、絞りに意図が感じられない。それにしても写真の学校に通ったとのことだが、何を勉強していたのか意味不明だ。そういう技術的な不備をものともせず、自分の感じたものを撮り続けるのが芸術の真髄なのだろうか?批判半分、ねたみ半分の意見は他にもよく聞く。

◇生前、管洋志先生は梅佳代氏を認めていた。管先生も梅佳代氏のような子供の写真を撮ることが多く、フィールドが重なる部分も多かったが、自分には無い感性の持ち主である梅佳代氏を客観的に認めていたのだ。ただし「このまま行けば凄いものだ」ということも付け加えていた。今は感性だけで撮っているけれど、技術面でベースができていないと必ず行き詰まるのでそれを乗り越えられるか。ということなのだ。ずっと同じような作品を撮り続けても、見るほうは飽きてくるというものだ。

◇そう勝手に懸念しているのも、写真関係者だけで、会場では変わった写真を前に、将来自分も写真作家を目指しているようなカメラ女子が真剣に眺める光景を目の当たりにした。少なくともカメラ女子にとって梅佳代氏は一つの目標であり、希望のようなものなのだ。しかし、誰でも数万円のカメラを買えば、カメラ女子になれる時代だ。その中で一線の写真家になるのは並大抵のことではない。いや、競争相手が多すぎて努力だけでは難しい時代と言えるだろう。

◇写真家の田沼武能先生が「昔は写真家がほとんどいなかったので忙しかった」と言われていた。写真を普通に撮ることすら難しく、写真家も少なかったので仕事が山ほどあったのだ。昔は写真を撮れるだけで優位性があったが、今は誰でも写真を撮れる時代になり、世の中で撮影される大半の写真はアマチュアによるものだ。その中で優位性を保ちつつ、写真家を名乗るのは簡単ではない。

◇ここまで書いていたら結論が出た。梅佳代氏は職業写真家の延長線上にはいないのだ。要するに、大勢のアマチュア写真愛好家の頂点に立つ存在なのだ。アマチュアが中心となった写真の世界で、梅佳代氏の作品をプロの目線から揶揄するのは時代の潮目を見誤っているのかも知れない。この先、梅佳代氏が職業写真家として経験を積んだ場合も、アマチュア目線の写真を撮り続けられるか?非常に興味がある。いろんな意味で考えさせられる写真展であったことは確かだ。


「梅佳代展」で入場待ちの列


旧古河庭園に行ったがバラが少なく、仕方ないのでカメを撮る。
こんな写真では梅佳代氏に一蹴されそうだ。



南青山の秋山庄太郎写真芸術館に行ってきた。アトリエ跡を改装したそうだ。
そういえば学生時代に専門学校でバイトの講師をやっていた時、顧問が秋山先生だった。
偉い先生だと知ったのは社会人になってからだが、、、