コラム

見出し 写真電送
更新時間 2014/10/21 名前 よねやん
本文 ◇スマートフォンなどを含め、今ではデジカメを皆が持つ時代になり、撮った画像を瞬時にしてメールやツイッターで発信できるようになった。デジカメが普及する前の1990年代以前は写真を1枚電送するのに大変な努力があった。今回はそれを紹介したい。

◇銀塩時代の報道カメラマンが海外出張を任される場合、撮ったフィルムを現像して、写真電送機で写真を電送できるという絶対条件が課せられていた。街中のどこにでもラボがあるというのは日本くらいで、しかも10分で現像してもらえる所は銀塩全盛時代にも海外ではなかった。なので海外へ行く際は、必ず現像キットを持ってホテルのバスルームで現像するというのが通常なのだ。今では怪しげな現像液などの薬品を持って飛行機に搭乗することはできないが、当時はそれでも許される良き時代だったと言える。

◇無事現像ができたとしても、次の難関は写真の電送だ。電話回線を使ってファックスのように写真の情報を「ピッ、ピッ、ピッ、ヒョロロ、ヒョロロ」という音に変換して電送を行う。まず現像したフィルムを写真電送機にセットし、接続端子を電話線につなぎこむわけだが、今のように簡単に差し込めるモジュラージャックがあるわけでも無く、ホテルの壁に直接電話機がつながっていることもある。その場合はドライバーで電話機の受話器を分解し、電話線を探し出しそこへクリップ状の端子をつなぐ。電話線には48Vの電圧がかかっているので、指にツバを付けて少し触れてみるとピリピリし、筆者は探り当てるのが得意だった。ただし、バラバラ状態をホテルの従業員に見つかるとトラブルになるので、見られないようにするコツも重要だ。状況を想像してみて欲しい、怪しげな機材は、よく言えば007のジェームスボンド、悪く言えばテロ組織のメンバーにしか見えないのだ。

◇最後の難関は国際電話だ。今の3G携帯だと、海外に行ってもそのまま使えるが、昔は電話交換手に電話番号を告げてつないでもらうなど大変な手続きがあった。アナログ時代なので国と国との回線数に限りがあり、空くまで待たされることもあった。また、1時間くらい待ってつながった後も、しゃべらず無音状態が続くと、交換手が盗聴していて勝手に切られることもある。電話を切られないように、新聞を朗読して回線を確保するというのが日本で受けを行う新人の仕事だった。回線料金も高く、数枚の写真を電送するのに確か30万円とか掛かる場合もあった。

◇当時送られてきた写真を見ると、画素も荒く、回線ノイズもひどく、笑ってしまうほど低画質なのだが、世界のかなたで起きたことが1時間後に日本で写真として見られるというのは最先端の職人技だったと思う。

◇よく、当時と今とどちらの仕事が大変だったかという議論になる。昔は現像などが大変だが、数枚の写真を電送できれば後は枕を高くして寝られたものだ。少々ぼけていても、お決まりの場面さえ抑えていれば怒られることもなかった。今は機材が発達して、ピントやブレの無いきっちりした画像を場合によっては数百枚単位で送る必要がある。サッカーの試合などテレビの同時中継も多いのでそれを見て図柄のリクエストも頻繁にある。寝床に着いたと思ったら時差もお構いなく携帯で起こされるし、メールで制作途中の紙面のゲラが送られてくるので絵解きの確認が必要になる。仕事量でいうと間違いなく今の方がきつい。当時、海外出張する場合は、特派員と呼ばれ、会社で壮行会まで開いていたという、信じられない話だ。今はパスポートを常に会社の引き出しに置き、朝、普通に出社して、夕方急に海外へ出張することもある。時代が変わったと言えばそれまでだが、ビデオの早送りボタンのように日常の物語が10倍くらいの速度で動いている気がしてならない。


台風19号の通過直前にかかわらず、
今年も高田馬場のやぶさめは行われた
みんな傘を差していたので脚立が必要だ



ゆりかもめ新橋駅で