コラム

見出し 短編小説
更新時間 2015/08/19 名前 よねやん
本文 勉強のためにお盆にちなんだ短編小説を書いてみた


<孤高のカメラマン>

◇「この作品は浅草の雷門に行ったら、偶然に外国人がポーズしてくれて…」入賞後、マイクを手に喜びの声を熱く語る会員、謙虚に語りながらも、内心では「やったー」と思っている。ここは心と心がぶつかり合う場所、写真クラブの月例審査会だ。普通、写真コンテストの審査は関係者だけの非公開審査一般的だが、この月例審査会は大会議室に約150名の会員が集まり、公開で審査が行われる。大会議室の机には応募作品が900作品ほど並び、最初見た者はその多さに圧倒される。審査員は有名写真家や元報道カメラマンが多い。この大人数で毎月公開の審査会を行うクラブは皆無で、おそらく日本一の規模だ。そこで最優秀賞に輝くために会員らは人間の本性丸出しで臨む。

◇そんな激戦の地で作品を出せば必ず入選するという、会員の間からは「金ちゃん」と呼ばれる人がいた。ちゃんとした橋本昭一という名があったが、いつも金メダルばかり獲るので、皮肉を込めてその呼び名がついたらしい。金ちゃんは、特段やる気のオーラがみなぎっているわけではなく、勉強熱心なわけでもない。午前中に行われる勉強会には参加せず、いつも午後の審査会の30分くらい前に現れる。出品作品を一通り眺めると、どでかく汚いバッグに顔を半分入れ、しばらくモゴモゴしながら作品を取り出して出品する。画題は平凡、作風はバラバラで統一性が無い。でも無駄の無いフレーミングと明確な主張を持った作品は審査員の琴線に触れ入賞するのだ。審査後に選評を聞いて勉強する姿勢も見られず、審査途中で帰ってしまうので金ちゃんの喜びの声を聞いたことが無い。

◇会員の中では、そのどでかいバッグに何が入っているかが噂になることもあった。中を覗かれるのが嫌なのか、周りに会員のいない会場の角でいつもバッグを開ける。審査会場は満員電車のように人で混雑しているが、金ちゃんはそのバッグを小脇に抱えて絶対に離そうとしない。金ちゃんバッグが迷惑だというクレームで、担当役員がカバン置き場を設けたが、金ちゃんには関係の無いことだった。実は漫画喫茶で生活していて、生活必需品と全財産が詰め込まれているという人もいた。いつでも撮影できるようにカメラ機材が入っているという話もあったが、金ちゃんが撮影する姿を誰も見たことが無く、すべてが想像の域を超えることがなかった。

◇ここ2年くらいは月例審査会で入賞からもれたことも無く、大体最優秀賞か優秀賞の上位入賞を果たしている。毎月の入賞を得点化して合計を競う年間賞では4年連続で1位という前人未到の記録を打ち立てていた。

◇そんな中、電車が遅れたのか、漫画喫茶で寝過ごしたのか分からないが、審査開始ギリギリに現れたことが一度だけあった。あわて顔で巨大バッグから作品を取り出して応募したが、出した作品は別の会員も多く出していた紅葉のきれいな作品だった。それでも凡人には分からぬ感覚で審査員の琴線に触れるだろうと皆は思っていたが、あっさり落ちた。その月は入賞作品の話より、落ちた金ちゃんの話題で持ちきりだった。「良い作品が無かったから来るのをためらった」という意見が多かったが、それはまるでイチロー選手が草野球に現れて、5連続三振するようなものだ。何か大きな理由があったに違いない。

◇ただ、その体たらくは1度きりで、次の月からは何事も無かったようにヒットを重ねた。それから1年近く、とうとう金ちゃんが5年連続で年間賞1位の金字塔を打ち立て、総会では珍しく挨拶をした。とにかくマイクが苦手ということで過去の4回の総会は欠席し、マイク越しの金ちゃんの声は初めてということになる。

「5年連続で年間賞を受賞しましたが、今日限りでこの写真クラブをやめます。同時に写真ともお別れです」

 と、言って金ちゃんは巨大バッグのファスナーを開けた。中に手を入れ、引き出すとポートフォリオと呼ばれる、透明のケースが1つ出てきた。よく見ると2L版の作品がたぶん100枚ほど詰め込まれている。最後に金ちゃんの作品をみんなに見せてくれると一瞬思ったが、そうではないようだ。また、バッグに手を入れ引き出すと、同じようなポートフォリオが次々と出てくる。そのうち出すのが面倒になったのか、机の上にバッグの中身をぶちまけると、ガラガラっと10個あまりのポートフォリオが出てきた。すべて2Lの作品がびっちり詰まっており、1000枚以上ありそうだ。

「今日で最後なので事情を説明して皆様にお詫びします」
「これまで入選した作品は私が撮ったものではありません」

◇当然、会場はざわつき、誰もが年間賞の取り消しを考えた。2年連続2位で苦汁をなめていた会員は、自分の繰上げ1位を確信した。司会がその場を鎮めるために割って入ろうとした瞬間、金ちゃんはサバサバした表情で話を続けた。

「でも5年連続の年間賞に変わりは無いと思います。聞いてください…」
-------------------------------------------------------------------

◇私には7年前から行方不明の兄がいます。新聞社のカメラマンとして長く勤め上げ、65歳で定年を迎えた1歳年上の兄です。仕事をやめてからも家でごろごろするのが嫌いで、ずっと日本中を撮り歩いていました。特に仕事の撮影をこなすでもなく、コンクールに応募するのでもなく、報道カメラマンの習性でしょうか、日本中を旅して決定的瞬間を切り取りさえすれば満足していたようで、あとは人に見せるのも面倒な感じでした。

◇ある夏の日、いつものように奥さんに1週間ほど撮影に行くといって出て行ったそうです。何かあればすぐに携帯を掛けてくる人なので、特に行き先は聞きませんでした。しかし10日経っても帰ってこないので、携帯に電話してみると、電源が入っていなくて通じない。結局、1ヶ月経っても連絡が取れず、警察に行方不明届を出すと共に、携帯やATMも利用履歴を調べてもらい、最後は富山市内にいたことだけは分かりました。考えられる手段を講じましたが何も分かりませんでした。年間の行方不明者は全国で8万人を超えるらしく、警察も冷たいですね。行くと対応は丁寧なのですが、親身になって考える様子もなく事務的に書類を提出するだけです。

◇3ヶ月ほど経った年末、新たな展開がありました。新聞の都内版を見ていると、この月例審査会の発表紙面で兄の作品が最優秀賞になっているのです。富山県で有名な「おわら風の盆」で撮られたもので、無駄の無い新聞掲載向きの作品は間違いなく兄が撮ったものです。兄は富山へ行っていたのです。審査会の事務局へ電話してみると、郵送での出品で審査会へは参加していないとのことでした。ただ、審査の次の日に「橋本昭一が最優秀賞に入ったか?」という確認の電話があったそうです。

◇兄の机の引き出しを捜すと、確かにこの写真クラブの目新しい会員証が封筒の中にありました。あれほどアマチュアカメラマンとは一線を引いていた兄なのに。

◇私は兄の手がかりを求め、月例審査会に出向くことにしました。ちょうど兄の会員証があったので、手っ取り早く兄に成りすまし参加しました。ひょっこり兄が参加している可能性も考え、半年間ほど成りすまして通いましたが、兄からの応募も無く、手がかりはゼロでした。そのうち「橋本さん、一度最優秀賞に入賞した後は出品しないの」と声をかけてくる人がでてきました。

◇事情を話せば良かったのですが、悪魔のささやきが聞こえました。掲載紙面は100万部近く読者の目に触れるので、そこに兄の名が載れば何か手がかりがつかめると思ったのです。兄の撮った秀作と思われる撮影データは山のようにあります。最初はそれを適当に出していましたが、確かに秀作揃いで、よく入選し審査員も絶賛してくれました。

◇私は写真を撮らず、その難しさも分かりませんが、入選の確率を上げることだけに専念しました。この審査員はこのような作風が好きだとか、例えば桜の作品が多いときは、違った作風で狙うほうが得策だとか、細かいことで評価軸のゆらぎが発生します。後出しジャンケンじゃないけど、審査のテーブルに並んでいる作品を見て、自分の出す作品を決めます。こうやってポートフォリオに作風や状況別に整理するとすぐに取り出せます。

◇もう分かったでしょう、秘密が。撮るだけに専念した兄の作品を携え、私が思い入れもなく事務的に応募するから高確率で入選するのです。よく競馬で馬をまったく見ず、大衆の癖と倍率の揺らぎのみに注目して、儲けている人がいます。それと同じです。皆さんも実践してみたらどうでしょう。自分は撮るのに専念して、応募のうまい人に後は任せるというのは。写真の面白さを捨てなきゃなりませんが。

◇年間賞の話になりますが、兄の撮った作品を兄の名前で応募したので、会則では問題ないと思います。行方不明者届は出ていますが、戸籍上はまだ兄は生きています。ひとつだけ言うなら私が兄に成りすまして、審査会に参加したのは問題ではありますが。でも「兄の作品を提出するためにもぐりこんだ」という善意の解釈もできます。

◇作品の応募を通して兄の気持ちが分かるようになってきました。下手に元報道カメラマンの肩書きでなんちゃって写真家になり下がることを避けた兄でしたが、孤高の実力は健在というところを作品応募で確認したかったのだと思います。もし元気にまだ写真を撮っているなら、撮影現場で目立つ兄を誰かが見かけるでしょう。信じたくありませんが生きている可能性は皆無だと思います。

◇行方不明者届を出して7年が過ぎれば、法律上は死亡が認定されるそうです。来年はその7年目なので、ささやかながら内輪で葬儀も営みたいと思います。5年間も連続で年間賞を獲得した自分の作品を見て、兄も未練なく天国にいけると思います。問題は兄の捜索と供養に、この場をお借りしてしまったということです。

-------------------------------------------------------------------

◇ほとんどの会員は複雑な気持ちを抱えながら、表面上は何事もなく総会は進行した。橋本昭一氏の年間賞が表彰され弟の金ちゃんが代理で賞状を受け取った。と同時に後日会則に
「応募作品は本人が撮影し、本人が応募するものとする」
という一文が加えられた。

◇残された会員は橋本昭一という超えられない壁を感じながら、創作活動に励むこととなった。3年後の8月下旬、「おわら風の盆」の雑踏の中に金ちゃんの姿があった。人ごみの中、重い機材を担いで、動き回る兄の姿を想像した。それほどバイタリティあふれる兄がなぜ?真相は闇の中だが、一線のカメラマンで走り続ける難しさだけは理解できた気がする。