コラム

見出し カメラマンの価値
更新時間 2019/06/09 名前 よねやん
本文 ◇風景写真を撮るカメラマンは食えないという。一部の売れっ子なら作品を撮って、雑誌やカレンダー、ポスターなどに載せてもらい、セミナーに行ってそこそこ食べられているようだが、大半はそれだけでは食えない。なんでもネット検索できる現在、誰も知らないポイントへ行って差別化するのは難しい。また行きさえすれば後はカメラが作品を撮ってくれるのでクライアントが自分で撮りに行けば良いだけの話、プロに頼む必要が無いのだ。

◇30年くらい前だったら、例えばペルーのマチュピチュに行って遺跡の写真を撮れば、そのポジフィルムを出版社が30万円くらいで買い取ってくれた話を聞く。今は出版社も体力がなくなり、買い取ってもせいぜい3万円というところだろう。交通費も出ないほどだ。世界中がカメラで撮りつくされているので、全てが見慣れた写真になってしまい、風景写真自体の価値が低くなってしまったのだ。  まともな生活をしているカメラマンの大半は、人物や商品を中心とした広告がらみの撮影が多い。広告なら高いギャラを払ってでもプロカメラマンに撮ってもらう意味があるからだ。例えば、500円のショートケーキがあるとする。それを700円に見えるような豪華な撮影を行えば、売れ行きが3割、4割上がるはずだ。そうすると売り手としては儲かるはずで、カメラマンに10万円のギャラを払っても安い計算になる。「撮ることによって価値を生み出す」のがカメラマンなのだ。

◇人物写真なら例えば、60歳の女性を45歳位に若く撮れば価値が生まれる。ただし、いつでも若く見えるように撮れば良いのかというとそれも否。その人をどの媒体で、どのようなトーンで紹介するかを理解して、若くか、活動的か、知的か、謎めいたようにか、撮り分けるのがプロカメラマンで、クライアントや被写体の要望を聞いてすり合わせることが必要だ。

◇以前にも話したが、写真とは「真を写すこと」などと言って、光は自然光、レンズは単焦点1本だけ、被写体のレイアウトもあるがままで撮るカメラマンがいるが間違っている。言い分としては、「自分の世界観で最高の作品を撮るから、後は編集者の腕次第」という考え方なのだが、あまりにも自分中心的な考えだ。そういうカメラマンは仕事の依頼が来なくなって行き詰ってしまう。写真の最終形が見えていないのだ。 ◇撮影時に、これはネットで使う、雑誌のどの位置に使う、どこに貼るポスターに使う、などよく理解した上で、最大限に価値を生み出す写真を撮らないとダメだ。例えばポスターであれば、どの辺に文字が入るとか、どのような内容であるかとか、どのような色のデザインなのかなど、全て理解し、レンズを選び、ライティングの方針を決めて撮る必要があるのだ。あと、被写体が芸能人であれば事務所の方針、編集者、事務所、クライアントなどの意向も聞いて撮影方針を決めてゆくのがカメラマンの仕事なのだ。言われて撮っているだけではダメなのだ。

◇これらはアマチュアカメラマンにも当てはまる。自分の世界観を押し通す人と、コンクールの審査員などを想像しながら自在に作風を変えてくる人。仕事ではないので、どちらが正解ということは無いが、自分の立ち位置を確認しながら撮ることは大事だと思う。一般的に郷に従う人の方が評価されコンクールに入選したりするが、楽しみで撮っているのだから、自分の好きな写真を撮るほうが絶対に幸せだと思う。思いっきり郷に従い、毎日流されながら撮っている筆者がいうのも変な話ではあるが。


都内のスタジオで男優の撮影、
秘密兵器のジャンボアンブレラ(左手前、直径185cm)を持ち出す。
これだけ大きいと撮られた感はスゴイ



こちらはスタジオの定番、プロフォトの高級ジャンボアンブレラ
筆者のは中華製で数千円だが、こちらは20万円ほどするらしい